入院のしおり

入院のしおり 入院された人へのおたすけ用に作りました。

@入院に際して

 入院は初めてですか。それとも何回か経験されていますか。初めてでも何回目かでも入院は大変なものですし、病気は嫌なものですね。

 でももう仕方がないですから腹を決めて、病気はお医者さんに任せて、あなたは入院を機会にゆっくりいろいろと考える機会を与えてもらったのだと思ってみたらどうでしょうか。

さて何を考えるか、あなたのこれまでの人生とこれからのことです。

 

A今までの人生に感謝を

入院が初めての方は、今までの人生に大きな感謝をしてくださいね。今まで当たり前だと思っていた健康が当たり前ではなかったということがわかったのですから。

 何度も入院している人は、大変ですね。でも今の日本という国に住んでいる私たちは幸せです。世界にはこんな治療を受けられない国がたくさんあります。日本だって、何十年か前は平均寿命が六十代でした。医学のすごい進歩のおかげです。 昔だったらそしてほかの国だったらどうなってたかわからない病気がたすかるのですから、今この病院にいるだけで喜べることなのですね。

 でもなかなかそんな風には喜べないですね。

 昔、天理憩いの家病院の院長さんが次のように言ってました。「私は時間があったら回診して出来るだけ患者さんと話すように心がけている。「そして病気になったら健康のありがたさがわかるでしょう。」と話し出す。すると患者さんは必ずそうですねと言う。「でもそれではだめですよ。」と次に私が言うと患者さんはいぶかしそうに「なぜですか」と聞く。そこで私は「病気の時に健康のありがたさがわかるという人は、健康になったら病気の時に思ったことを必ず忘れます。今の病気の時にでもまだどこは元気、ここは元気と喜べる人が、元気になったら健康のありがたさを本当に喜べる人ですよ」といつも話されたそうです。

 病気になったらそんな時こそ、今までの人生を振り返って、まずはいっぱい喜びを探し出しましょう。

  信者さんに

  天理教は「事情身上は道の華」と言います。いろい

ろな事情や身上(病気は)、本当の生き方と言う果実を

得るための花だということです。病気はつらいことで

はありますが、神様からの手紙だと思ってその思いを

探させていただく努力をしましょう。一番大事なこと

は、苦しめよう困らそうという神様はいないというこ

とだと思います。

 

B喜べること

喜べと言われても、人によって様々でしょう。また素直に喜べる時もあれば喜べない時もあります。でもそんな時でも、こんな3つの不思議を感じませんか。

@うまれたという不思議

病気になったら、何で私がこの病気にならなければならないと、まず考えてしまいます。でもなぜと考えるなら、何故の一番初めの疑問はなぜ私が生まれてきたのかという不思議ですね。その不思議に感謝しましょう。

 A両親のもとに生まれたという不思議

あなたの両親があなたを生むまでに死んでいたらあなたは生まれていません。あなたの両親のそのまた両親があなたの両親を生むまでに死んでいたら、あなたの両親は生まれていないし、もちろんあなたも生まれていません。あなたの祖父母、曾祖父母とさかのぼっていけばあなたと言う人は奇跡の海に浮かんでいることがわかります。

Bあなたの人生の不思議

今こうして入院しているということは、今まで生きてきたということです。危ない中もあったかもしれません。厳しい人生だったとしか思えない人もいるでしょう。でもまずは、いろいろな人に支えられてあなたが今まで生きてきたことに感謝を捧げましょう。

 

Cこれからのこと

今までのことに感謝できるようになったら、これからのことを考えてみましょう。

ここで大事なことは、今までのことに感謝できなければ、これからのことを考えても仕方がないということです。感謝の反対は何でしょうか。怨嗟(えんさ)、不平、不足、怒り・・・・。そんな心で、もしこれからを通ったとしても、いいことが起こってくるとは思えませんからね。

だから大事なことは今までを感謝できることがこれからのことを考える第一歩なのです。

今までのことを感謝したとしても、今かかっている病気の種類によってこれからのことが左右されますね。重い病気でしたら、これからのことなんて考えられないという心境かもしれません。でも本当にそうでしょうか。これからのことは、これから先にあるのではありません。今から一分先もこれからですし、一年先もこれからです。一年先という日があるのではありません。一年先は今の一分先の積み重ねでしかありません。まず今から一分先は、笑っていたいか、泣いていたいか考えてみましょう。

一分先なら笑ってみることはできますね。

    信者さんへ

神様は「先案じをするな」とお聞かせい  ただきました。先案じとは、将来のことをいろいろと思い悩むことです。でも将来のことは、それは神様の決められる世界です。私たちがどうしょうと考えてできることではありません。

今の入院を考えればよくわかりますね。この入院を自分で計画していた人はないはずですから。だから神様の領分のことで悩むのではなく、私たちは自分の出来ることをしっかりさせてもらえばいいのです。

私にできることとは、日々の心をどのように使うかということです。

この今を、なぜこんな病気になったのかと不平不満をいうこともできますし、こうして今までのことを反省し感謝する時間を与えてもらったと喜ぶこともできます。でもそれをするのは神様ではありません。それはあなたにしかできないことです。あなたにしかできないことを神様に喜んでもらえるような心で通ることは、あなたにしかできないのです。そして神様に喜んでもらえる心になれば、神様はその人の人生を大きく変えていただくのです。ですから「先案じ」は必要ないのです。

 

D今できること

 一分先は笑っていようと思うことは今できることですね。そのためには今までのことを感謝する気持ちにならなければなりません。そして感謝する気持ちになったら、それを心で思うだけではなく形に表さなければなりません。まずは一日一回時間を決めて、@生まれたという不思議にA両親のもとに生まれたという不思議にBあなたの人生の不思議の三つの不思議にお礼しましょう。

信者さんへ

病院でも神様へのお礼はできます。病院でいるからこそ、神様へのお礼とご先祖様へのお礼をしっかりとさせていただきましょう。

できればおつとめを、できなくても毎日お礼だけは忘れずにさせていただきましょう。


Eお礼をするということ

家に仏壇や神棚がない人は、意外とこのお礼をするという習慣がありません。本当は夫婦だって毎日お礼を言い合いしょうと言われるぐらいですが、そんなことをしている人はほとんどいないでしょう。

お礼をするというのは、何かをしてくれたことにおれいをするのではなく、不思議だと思うことにお礼するのです。

Aの「両親のもとに生まれたという不思議」は仏壇や位牌のある家は毎日しているでしょうが、病院でも両親や先祖にお礼をさせていただきましょう。

Bの「あなたの人生の不思議」にお礼するということは、「自分で自分にお礼してもなあ」などと考える人もいるかもしれませんが、もちろんそうではなく、あなたの周りの人にお礼するということです。その人に何かをしてもらったからお礼をするのではなく、そばでいてくれるだけでありがたいという気持ちでお礼をすることです。あなたの配偶者や子供たちが、もしいなくなった時のことを想像してください。生きてくれているだけでありがたいと思えてきたでしょう。その人たちが何かをしてくれるからお礼するのではなく、存在してくれるだけでありがたいという気持ちが本当のお礼です。                

@の「生まれたという不思議」は、一番大きな不思議です。人はなぜ生まれてくるのか、これは人類の一番大きな不思議です。村上和雄という筑波大の名誉教授は、「サムシンググレート」という目に見えない偉大な何者かの思いが人類に込められているとお話しされています。

 「サムシンググレート」という目に見えない偉大な意思が何故自分をこの世界に生まれさせたかを考えることは、なぜ今自分が入院したかという答えを考えることでもあります。

 私はその答えを自分なりに見つけることが人生の一番大きな目的の一つだと思っています。

信者さんへ

事情。身上は道の華というのは、病気が、日頃忘れがちになってしまう神様や先祖への感謝を思い出すきっかけになるということです。病気は何かの罰でもたたりでもありません。華とお聞かせいただくように、花の美しさをそのまま楽しめるように、病気になってもその病気になったことを花を楽しむように楽しめることができたら一番いいのだと思います。難しいことですが・・・。

 

 

F天理教のおたすけについて

 天理教では身体は神様からの借り物で、心だけは自分の思い通りに使えるようにお許しいただいているとお聞かせいただきます。ですから病気は、自分の心や通り方を一度ゆっくり振り返るようにという神様のメッセージです。どうぞこの機会にゆっくりと今までの人生を振り返って、感謝の気持ちを改めて持たせていただきましょう。

天理教では、「おさづけの理」という病気を治す方法を神様からお許しいただいています。もしご希望でしたらその旨をこの本を渡した人か、教会の方へご連絡いただければ、「おさづけの理」を取り次がせていただきます。

信者さんへ

     「おさづけの理」を取り次ぐということ 

は、何としてもその人に助かってほしいと いう人を助けさせていただきたいとの心にお乗りくださり神様がお働き下さいます。

どうぞ病気がよくなったら今度は自分が教祖の道具衆として「おさづけの理」を取り次ぎ、人を助けさせていただきたいとの心にならせていただきましょう。

心の成人

のために

☆別席

  別席はおさづけの理をいただくために、毎月お話を聞かせていただくものです。おぢば(天理)で九回お話をきかせていただき、十回目に真柱様を通して教祖から「おさづけの理」をいただきます。

それはちょうど母親の胎内で十月十日いて生まれるように、おぢばという神様のお膝元で心が生まれ変わるのだともお聞かせいただきます。 

おさづけの理とは、病む人に取り次ぎ大きなご守護を実際に体験できます。それはまた、生涯の宝ともお聞かせいただきますが、「わかるようむねのうちより思案せよ 人たすけたらわがみたすかる」というお言葉どおり、人をたすけるためだけに使わせていただけるもので、自分には取り次げません。

十七歳になれば誰でも別席を運ばせていただけます。

☆修養科

 神様のおひざもとで三ヵ月間、神様の勉強やひのきしんをさせていただきます。行くまでは皆さん二の足も三の足も踏まれますが、行った人は全て行ってよかったと言ってます。教祖のお膝元でみんな不思議な体験をされるようです。

 

☆三日講習会

  修養科に三ヶ月か行くことの難しい人たちのために、三日講習会というのがあります。これは教理を三日の間に密度濃く学ぶもので、講習会はTUVと3回受講すれば、講習の受講資格が得られます。

 

☆講習

 おさづけの理もいただき、修養科も卒業して、さらに神様の思いを聞かせていただきたい人のために、おぢばで十五日間教理を勉強する講習があります。

十五日間は通しても受講でも、五日間ずつ三回に分けての受講もできます。